1992年4月 人生初のプロレス観戦だ。 --初めて生でプロレスを観に行った話。
1992年4月6日 15歳(高校1年生)
今日はカンちゃんと二人で大阪府立体育館に全日本プロレスの「チャンピオン・カーニバル」を観に行った。
人生初のプロレス観戦だ。
昼過ぎにカンちゃんが僕の家まで迎えに来て、一緒に電車で大阪府立体育館へ向かった。
行きの電車の中でも、ずっとカンちゃんと「チャンピオン・カーニバル」の話をしていた。
会場にはだいぶ早く着いてしまって、まだ中に入れなかった。
会場が開くのを待ってる間も、ずっとプロレスの話をしていた。
会場に入ると、パンフレットを買った。
パンフレットには今日のカードがハンコで押してあった。
メインは川田利明とスタン・ハンセンのチャンピオンカーニバル公式戦。
リングサイドの13列目の席を買っていたので、自分たちの席を探して座った。
思ってたより遠かったけど、リングの上では若手の選手たちが受け身の練習したりしてるのも見えた。
カンちゃんは早速持ってきた「写ルンです」で写真を撮っていた。
僕も撮ろうかと思ったけど、試合が始まってからにしようと思って我慢した。
そして、試合が始まった。
1試合目、百田vs井上
2試合目、R木村&M井上組vs永源遥&大熊元司(ラッシャーのマイクパフォーマンス観れた!)
3試合目、小川vsマスター・ブラスター
4試合目、菊地vsデビッド・アイズリー(アイズリーコールしてるファンがいた)
5試合目、G馬場&田上組vsブッチャー&キマラ組(馬場、デカかった)
菊地が入場する時に触りに行ったけど、全然、触れなかった。
カンちゃんは「田上に触った」と言っていた。
休憩時間に川田の写真付きのサイン色紙を買った。
カンちゃんは三沢のを買っていた。
6試合目、小橋vsスパイビー
7試合目、殺人魚雷コンビvsエース&クロファット組
8試合目、三沢vsファーナス
9試合目、J鶴田vs渕(オー!やった)
10試合目、川田vsハンセン
川田を応援していたのだけど、ハンセンのラリアートで負けてしまった。
いい試合で、試合中に何回も川田の名前を叫んだ。
テレビでも放送されると思うので、もしかしたら僕の声も入ってるかも知れない。
僕は川田ファンなので、試合の後にハンセンが「ウィー!」をやる時に、やるかどうか迷ったけど、やっぱり一緒にやってしまった。
そう言えば、ファンの中にタイガーマスクのマスクをかぶってる人がいて、出口のところで「タイガーコール」が起こっていた。
その後、みんなに取り押さえられて、マスク剥がされてた。
帰りの電車でも、カンちゃんは「また行きたいなあ」と言ってた。
カンちゃんとは違う高校に行くけど、行けたらいいなと思う。
今日、撮った写真も見せ合う約束をした。
◆現在◆
結局、その後は、カンちゃんと一緒にプロレスを観に行けませんでした。
写真も見せあえていません。
もっとも、僕の撮った写真は、ほとんどピンぼけで、写ってるものもリング上の選手がかろうじて見える程度でした。
僕は父が観ていた影響も有り、小学校に上がる前からテレビでプロレスを観ていて。
最初に好きになったのはハルク・ホーガンとタイガーマスクでした。
「ワールドプロレスリング」はずっと観ていたのですが、ゴールデンタイムでの放送が終わってしまうと、プロレスからは遠ざかってしまいました。
それが、小学校の高学年になったくらいの頃だったと思います。
そんな僕に再びプロレスへの情熱を取り戻させたのは、上の日記にも出てくるカンちゃんでした。
カンちゃんは中学校で同じ部活の仲間だったのですが、実は中3で同じクラスになるまでは、プロレスファンだとは知りませんでした。
きっかけは忘れましたが、カンちゃんがプロレスファンだということを知り、彼から「ワールドプロレスリング」は土曜の夕方に放送時間を変えて続いていることを教えられ、それからまたプロレスを観るようになりました。
また、僕はそれまで新日一辺倒で、全日はせいぜい馬場さんと鶴田、天龍くらいしか知らない状態でしたが、どっちかというと全日ファンだったカンちゃんに触発されて、深夜に放送していた全日も録画して観るようになりました。
その頃の全日は、ちょうど天龍をはじめとする多数の主力選手がメガネスーパーが作ったSWSへ移籍した頃で、三沢、川田、小橋、菊地の超世代軍がジャンボ鶴田やハンセン、テリー・ゴディーといった外国人選手と対決する構図でした。
それまでほぼ新日しか観ていなかった僕は、三沢光晴が2代目タイガーマスクだったことも知りませんでした。
と言うか、そもそもタイガーマスクの2代目がいたことを知りませんでした。
そんな状態の僕ですが、カンちゃんの薫陶もあり、気がつけば毎週、「週刊ゴング」を買って広告ページも含めて隅から隅まで読むようになっていました。
で、プロレス界の状況を知ることになります。
当時のプロレス界はと言うと、新日、全日があって、前述のSWS。大仁田厚のFMWの登場でインディー団体も現れます。そして、UWFもリングス、藤原組、∪インターの三派に分裂といったのが、この頃のプロレス界でした。現在に至る多団体時代の幕開けの時期といったところでしょうか。
高校入試が無事に終わった僕たちは、二人でプロレスを観に行くことにします。
まだネットなどもないので、情報源は僕が買っていた「週刊ゴング」。
そこで試合日程を調べて、残しておいたお年玉でチケットを買いました。電話で予約するのも初めてだったので、緊張して声が震えました。
中学生だけでプロレスを観に行くので、一応、両親に「プロレスを観に行きたい」と相談した時、
父は「何? まあいい、連れて行ってやる」と言ったのですが、
「いや、そうじゃなくて、友達と二人で行って良いか?」と言ったら、少しガッカリしたような顔をしていたのも、懐かしいです。
初めてプロレスを生で観た僕は、プロレスファンの一員になれたような、何だか誇らしい気持ちになってたような気がします。
ちなみにこの日のメイン、川田とハンセンの試合は、今でもネットで探すと、動画が見つかるかも知れません。
この時期のプロレスについては、いろいろと本なんかも出てるのですが、個人的には一番、その頃のプロレス界とプロレスファンの熱を伝えてるのは、『最狂プロレスファン烈伝』(徳光康之)じゃないか?と思ってます。当然、誇張も有るんですけど、僕が憧れてたプロレスファンの姿はあれでした。今でもたまに読み返すと、あの頃の熱が蘇ってくる気がします。