アノコロカラコノゴロ二イタル。

昭和の終わりから、平成を駆け抜けて、令和に辿り着いた。

1991年11月 クイズ王に俺はなる!--クイズ王になりたかった、あの頃

1991年11月某日  

知力・体力・時の運! アメリカ横断ウルトラクイズ 91年版

 

今日も部活が終わると部室でクイズ大会になった。 

参加者は残ってた7~8人。

 最近、うちは剣道部というより、クイズ部のようになってきた。 

キャプテンの僕と、副キャプテンのカンちゃんが率先してるんだから仕方ない。

 

 今日の出題者はキタコウジ。

高校生クイズ」の問題集の本を持ってきてた。

 5ポイント勝ち抜け、お手付きは1ポイント減点ルール。

 

優勝争いは僕とカンちゃんと、ノリとココノエの4人。 

あと今日はオノヅキもまあまあ調子良さそうだった。

どんどん白熱してきて、 正解した後に、誰かが 「クイズ王に俺はなる!」と宣言して、みんな大爆笑になった。

 

30分くらいやってると、部室の外から先生の、 「残ってる奴はもう帰れよ!」という声が聴こえたので、今日は終わりにした。

 

その時点では、ノリが4ポイントで単独トップ。

僕は3ポイントで2位タイ。

 

今日の問題の中で印象に残ったのは、

アメリカで最大の面積の州はアラスカ。では、2番目に面積の広い州は?」という問題。 正解は「テキサス」。

僕は「アメリカで最大の面積の州は」のところで押してしまったのだけど、正解することが出来た。オノヅキは「なんでそこで分かるの!」と驚いていたけど、実を言えば僕は、アラスカが完全に頭から抜けてて、なんとなく1番大きそうな州のイメージでテキサスと、ほとんど勘で答えただけだった。

 

帰りに来週の「ウルトラクイズ」の決勝の話になった。

カンちゃんは能勢さんの優勝を予想していた。

理由は「他の人より早押しボタン押してる回数が断然多いから」とのこと。

僕も能勢さんが一番強そうな気がするけど、本命が優勝するのは、ちょっと面白くない気もする。

 

※本記事は当時の記憶を頼りにフィクションを交えて執筆しています。

◆現在◆ 

90年代に入った頃。 「クイズ王」は間違いなく、僕や僕の仲間たちにとって最高クラスのヒーローでした。

 

その時期、『史上最強のクイズ王決定戦』と『FNS1億2000万人のクイズ王決定戦』という二つの一般参加の大型クイズ番組が始まり、そこに老舗の『アメリカ横断ウルトラクイズ』もあって、世の中的にも、一般参加者が知識を競う競技クイズの番組がブームになってました。

 

で、中学生の僕も当時所属していた剣道部の仲間たちを巻き込んで、日々、クイズ王を目指していたわけです。早押しボタンとかはなかったので、口で「ピンポン」と言ってました。 その頃は、いろいろと雑学の本なんかも読んでて、自分で言うのも何ですが、たぶん同世代の中学生の平均よりは、クイズ王に近い場所にいたとは思います。

 

本当にクイズ王は憧れの存在で、僕もいつかは「アマゾン川で…」と言われれば「ポロロッカ!」と答えられるようになりたい。と真剣に思ってました。

 

ただ、親というのは、そんな少年に冷や水を浴びせてきます。

「お初と徳兵衛の悲恋を描いた近松門左衛門作の浄瑠璃と言えば?という問題に答えられるだけの人間になるな」というようなことを父に言われました。ちなみに正解は「曽根崎心中」です。

 

父は「言葉を知ってるだけじゃなくて、その中身や背景にも興味を持て」というようなことを伝えたかったらしく、それは、結構、僕の中で重くて、今でも記憶の中に残ってます。

 

そんなこともあってか、ちょとずつ僕のクイズ熱も冷めていき、世の中のブームというのも徐々に落ち着いてきました。

 

僕が高校を卒業する頃には、ブームを牽引していた三番組は既に終了していました。

大学の入学式の後、クイズ研究会が勧誘してたんですが、「うちはクイズはやってません」とアピールしてたのが印象に残っています。

 

とは言え、今もクイズは好きで、何年か前に「アタック25」の予選に参加して惨敗しました。クイズ王への道は遠いです。